夫婦とふたごとネコ一匹

家族で起きた事件(?)を基に四コマ漫画を描いています。

「戦艦武蔵」の喜劇的な誕生と壮絶な最期

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戦艦武蔵」がなぜか駅ナカの本屋に

 「戦艦武蔵の最期」という本をこどもの頃に読んだ思い出がある。戦争の悲惨さを描いた小説ということで小学校の指定図書にはいっていたかどうかわからないがとにかく武蔵が沈没するシーンの人が死ぬシーン(確か内臓が出ちゃっているところ)だけ覚えいている。ことさら戦闘の悲惨さだけは覚えているわけだが実際にどんな内容だったかは覚えていない。そんな中、駅ナカの本屋でたまたま「戦艦武蔵」の字を見つけた。奥付けを見ると昭和46年初版の平成25年で77刷。すごく古い本ですごく長く売れ続けている。多分子供の頃に読んだ武蔵本に間違いないと思い、つい手に取ってしまった。駅ナカのそれほど大きくはない本屋の陳列に5年も売れずに在庫として埋もれていた本である。

 

戦艦大和型の2番艦として生まれた喜劇

 2番艦を隠すのは棕櫚(しゅろ)でできた幕

 戦艦大和と武蔵は極秘裏に建造開始された。しかし、世界的に見て類を見ない大きさの艦のため、どうやって極秘裏に建造するのか、特に外国のスパイだけではなく地元の住民の衆人環視のなかでどのように隠し続けて完成にこぎつけられるかが問題であり、特に長崎にある三菱造船所がある場所、長崎港のすり鉢上の地形の底でドックを改装してさえも建造しなければならなかった前例を見ない大きさの大和型2番艦。ドック全体を隠すのに使われたのは九州各地から集められた漁網を作る目的に使われる棕櫚(しゅろ)で作られた幕?どうなってんの?こんなんで大丈夫なの?

 

 造船所で働く職人にも秘密にできんの?

 造船所で雇用される造船を担当する職人にも守秘義務を徹底、家族調査を行うことはもちろんだが、ドック内でも自分の建造しているのが実際の船のどこの部分にあたるのかがわからない様にしていた徹底ぶり。また設計図も機密にあたるためにドックの1箇所で、取り扱える人間も限定していた中で建造が進む。若い職員がわざと設計図を捨ててしまう事件が発生したが、設計図がなくなったことも機密であり何がなくなったのかも秘密の中で捜査をする軍の苦労ったら大変を通り超して滑稽である。それでも完成に漕ぎ着ける日本の造船技術と信念の強さはこの本の特筆する場面である。笑い話として。

 進水式も機密扱い

 世界的にももうこれだけ大きな戦艦は作られないだろうと言われた大和型の2隻だが、進水式も機密扱いである。大和が建造された広島は呉の造船所のドッグは、ドッグそのものに海水を入れれば船が浮き、海に曳航するだけであるが、2番艦が造船された長崎造船所のドッグの場合、武蔵が建造されたのは陸の上であり海までは滑走させて浸水させる必要があった。艦が大きすぎるために進水したあともどうやって艦を隠し続けるかという問題はさておき、ドックの向こう岸にぶつかってしまう危険性があるため、どの様に海まで滑走させて水の上でどの様に速度を落とす対策を施すかということが問題となった。

 結果的に進水は成功するわけだが、次は艤装(船の装置を取り付ける作業)のために佐世保まで曳航したりする際に陸上から見つからないようにしなければならない。一般国民はいいとして、漁師に見つからない様にするにはどうする?これって喜劇なの?

 

戦艦武蔵完成後の悲劇

大きな輸送船と成り果てた超大型戦艦

 もともと海軍兵力を限定する国際連盟の規約のせいで秘密裏に建造しなければならなくなった大和型の2艦だが、日本国の国際連盟の脱退の時には時勢は超大型戦艦から航空機を主体とした艦隊に移っていったために、完成したはいいが既に取り扱いに難がああるしろものとかしてしまった大和と武蔵、実際の戦闘には全く参加せず実質的には物資の輸送に使われることとなる。

 歴史的にも類が無い46センチ主砲も航空機主体の敵の攻撃には全く無用の長物。主砲を打つと甲板にいる艦員が吹き飛ばされて死ぬというのだからおちおち撃っていられない。

 

実質的な初戦であるレイテ突入作戦にて

 戦艦武蔵戦艦大和ほどクローズアップされなかった理由が今回「戦艦武蔵」を読んで分かった気がする。とにかくいいところが無いのだ。最期には片道分の重油しか積まなかった戦艦大和ほど悲壮感をもって最期の出撃をしたわけでは無い。

 武蔵実質的な初戦であるフィリピン沖におけるレイテ突入作戦において戦艦武蔵は他艦隊の囮となって沈没してしまう。 戦艦武蔵はもともと対空を目的とはせず、機銃を追加したとしてもそもそも大きな艦である武蔵は、敵航空機からすれば格好の標的となってしまった。建造から沈没まで2年と2ヶ月。時間と金と資源と乗組員の命の無駄の粋を尽くしたと言わざるをえない短い命だった。

 

戦艦武蔵乗務員に降りかかる過酷なその後

 これだけ沈没までめためたなのに乗組員にはさらに過酷な試練が待っていた。

 戦艦武蔵乗員2399名のうち生存者1376名は戦艦武蔵沈没を隠蔽するためにその後終戦まで存在がひた隠しにされてしまう。

 生存者のうち420名は、高雄に向かう船に乗船中にアメリカ軍に遭遇沈没。乗員は5時間から19時間泳ぎ続け結局生存者は130名程度。その後瀬戸内の小島に軟禁状態となる。

 また、他の隊200名は佐世保へ入港後、呉へ移動、久里浜落下傘部隊の仮兵舎に監視付きで収容され、その後は各地に散らされた。

 その他生存者の約半数の620名は現地に残される。それぞれ悲惨な最期を迎えているので気になる方は本を読むかwikipediaで調べてみてほしい。

 

 帝国海軍が戦艦武蔵をどうしてひた隠しにしたかったかがわかるような気がする。ここまでくると存在自体が汚点だとおもっていたのではないのか?

 

戦艦武蔵」の存在とは何だったのか?

 とにかく建造から沈没まで、どうして建造しちゃったのだろう誰得?と思えるほどの存在の戦艦武蔵。 だれか止めなかったのかとも思えるが、国家機密の壁と上意下達の軍隊と国家の意地の中で誰も意見が出来なかったのだろう。できたとしても途端に治安維持法などの戦時下の法律によりすぐに放逐されてしまうだけだ。戦艦大和級の2隻の建造は硬直化した戦前の思考と風潮の中では誰も止められない負の遺産だったのだろう。

 

付記; 状況理解に役立った「艦これ」の個性的なキャラクター達

 このレイテ突入作成の部を読むにあたって「艦これ」が非常に役にたった。レイテ突入作戦とその付随する作成において多くの戦艦、航空母艦巡洋艦その他が参加する。無機質な戦闘船だったが「艦これ」のキャラクターをイメージしながら読むと区別がしやすく作戦の理解が上がった。しかしこの作成で旗艦愛宕、戦艦高雄、摩耶その他多くの艦がこの作戦で沈没する。また、金剛、那智が作戦後日本へ帰投中にアメリカにより沈没を遂げる。一介の船であると思えばどうでもいいことであるが、こと人格が与えられたキャラクター達がアメリカ軍に蹂躙されて沈没されたと想像すると思い入れが増すと共に悲しみも増すこととなった。つーか「艦隊これくしょん」サイコー。

 

 

 

戦艦武蔵 (新潮文庫)

戦艦武蔵 (新潮文庫)

 

 

 

戦艦武蔵の最後―海軍特別年少兵の見た太平洋海戦 (光人社NF文庫)

戦艦武蔵の最後―海軍特別年少兵の見た太平洋海戦 (光人社NF文庫)

 

 

家族に秘密を持つということ

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ブログを書いていること、四コマ漫画を描いていることは家族には秘密

 いつも何かしら実験をしている。

 

 洗髪に関して、湯シャンだけでかれこれ2年が経過したが、洗いが足りないと言われたことはあるが匂い等で家族から指摘を受けたことはない。

 

 紙パック牛乳で同じヨーグルト菌で継続してヨーグルトを培養し続けて1年になる。まだまだ現役だ。

 

 最近半年では、菓子類だけをやめるダイエットでLLサイズの体型がMサイズにまで下がった。お菓子をやめただけでライザップ要らずである。おかげで着る服がない。

 

 小さなくだらない実験をこの数年来継続して行っている。ブログもその一環だ。

 

絵を描かなくなったと思われている私

 ブログ開設以前は落書きをよく描いていた。落ち武者とは坊さんとかしか書かないので家族に呆れられたりしたが、ブログを始めてからぴたりと描いて見せることはなくなった。

 

 平和な奴らだ。自分らがモデルで自分らの日常が四コマ漫画で描かれていることなど全く知らない。連中は私は落書きをやめたとでも思っているのだと私は思う。私の絵の世界はiPadの中で完結している。家族の目に入ることはない。

 

バレはせん!バレはせんぞー!

 これは言うなれば、どれだけやれば君たちにバレるのかという実験だ。 まあとりあえずバレるまでは描き続けるだろうがいつの時点で気づかれるのだろうか。いつバレるのかを知るのもとても楽しみだ。ばれないようにはしようとは思うけど。

 

 もっともアクセスが今の数百倍にも上って、スマートニュースなどに載るようになったらさすがにバレるだろうが、それならその状況を喜んで受け入れるつもりだ。

 

 

 

 

 

 

新しい概念を言葉で伝えるのは無駄 体験させろ という話

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 自分にとっては良いアイデアと思ってもいざ他人に話しても反応が期待ハズレの時が私の場合多いと思う。いや、100%表現するのをなかば諦めているために表現がぞんざいになってしまうためにかえって素晴らしさを伝えきることができないのかもしれない。ラーメンなどの料理のおいしさ、映画の素晴らしさなどは相手の無反応さを考えるともう説明するのが萎えるほどだ。だからか「見てみるといいよ」とか「食べてみるのが一番」と短いおすすめの言葉で終始する。自分でも悪い傾向だとは思っている。しかし、つまらないことを理解してもらおうと思う時間が無駄に思える。人生の時間は有限である。それを表現することが人生にとって有意義であればそれはそれでいいことであるのだがそうで無いことの方が多すぎる。

 

 中古であるが電気自動車に乗り換えてはや2ヶ月が経とうとしている。毎週1回はガソリンを入れに行く習慣の代わりに週に3回ぐらい、1回に10分ほどの充電タイムが増えた。ここだけ読むと電気自動車とは充電するのに時間がかかる、なんとも面倒くさい乗り物だというように感じるかもしれないが、慣れとは恐ろしい、今では仕事の帰りや土曜日の朝の充電タイムが楽しみだ。反対に1回に10分は短すぎると思うぐらいだ。電池残量が半分ぐらいで充電に行ってしまうので1回にかかる充電タイムは10分から15分で終わってしまう。充電タイムをただじっと無為に過ごすのであれば人生の無駄と言えるかもしれないが、近くのコンビニに行ったり本を読んだり4コマ漫画の下書きや調べ物をすれば10分などすぐに経ってしまう。

 

 この10分の積み重ねでいろいろなことができる。週に3回1ヶ月は4週で12回、120分を一気に確保するのは難しいが細切れであれば確保するのは難しく無い。電気自動車の充電タイムは人生においていろいろなことを提供してくれる。充電にかかる電気代はかからないが充電の時間がかかる?今回の場合、電気代と充電時間はトレードオフの関係にはないと思っている。充実なる細切れ時間が手に入りつつさらにガソリン代が節約できる。今の所電気代は1円もかかっていない。

 

 しかし私が良いと思っていても他者から見れば手間も時間もかかる行為だ。上記のメリットを1回で理解することはできないだろう。いやさ、表層では理解できたとしても深層では違うことを考えている。私が熱い気持ちで説明すればするほどさらに相手は引いてしまう。概念が無いことを無理に推し進めようとしても無駄だ。説明を何時間繰り返してもお互いに無駄な時間を消費するだけだ。

 

 だが、こういった状況を打破する方法も無いことも無い。実際に体験をし、実際に見ることである。「百聞は一見に如かず」を実践してもらう。「やってみればいい、見てみるといい」という一言で全てが解決する。もっともそれを受けて相手がやってみるかどうかは別であるが相手の本気度がわかる。見ようともしない、簡単なことから実践しようとしない人を相手にして無駄な時間を使うことを回避できる。「やってみればいい、見てみるといい」という言葉は時間節約の魔法の言葉だろうか。相手の概念に無いアイデアを伝えるためには効果的な方法だ。

 

 電気自動車?乗ってみればいいよ。

 

 

娘の考えていることがわからなくなった時

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 生まれた時から娘たちとは程よい距離を保ちながらも何も言わなくてもなんとなく感情だったり欲しいものだったり食べたいものだったりを感知しそれを提供してきた。それは甘やかしというわけではなく親として提供しなければならないもの、提供したほうが良いものを取捨選択をして娘たちのためになるものを与えているという意味で。ゲームやスマホも欲しいがままに提供していたわけではなく早めに与えれば飽きるのも早く次のものに進めるからだ。親としてあまり干渉するとかえって固執してしまう。それこそ程よい距離を保ちながら。

 

 しかしながら咲ちゃんたちもすでに高校生。男親の私としては何を考えているのかがわからなくなったことがことさら多くなってきた。どうやって娘たちの考えていることを察知していたかというと簡単である。本屋に連れて行って興味のある本を買うのだ。ファッションだろうか勉強の参考書だろうか、それとも漫画?なんでもいい。そのテーマを端緒にして何を考えているかを察知する。それを元に必要なものを提供するだけだ。これは中学生ぐらいの時までは効果がある方法だ。しかし最近は外してばかりだ。というか娘二人が将来の進む道について両親としての私たちが考えもつかない進路を選択してことには吃驚だ。これはすでに男親としての使命は終了したということであろうか。今はまだ寂しいのか嬉しいのははわからない。まだ女親としての奥さんの使命は残っている。やはり思春期の多感な娘の女親。その辺は安心して任せて行きたい。もうそんなに長く無い期間ではあるが。

 

 

勇気を振り絞れ!

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 日頃は子供や職場の同僚たちに対しては「大丈夫!」とか「できるから」なんて不確定な根拠のないことばかり言っている自分であるが、こと自分のこととなると、とても怖がり。「大丈夫かなあ」とか「できるかなあ」とか。本当は石橋を渡るがごとく少しづつクリアしていくような性分だ。だから人生にとって勇気を振り絞らなければならない時には本当に腰が引けてしまう。大学受験の時、最初の就職試験の時、妻へのプロポーズの時、子供が生まれた時、あとは書ききれない。どうしようもないビビり野郎。

 

 こんな私でもあるが最近勇気を絞らなければならない事案に直面してしまった。藍ちゃんの3者面談に行かなければならなくなった。本当ならばパスしたいところだが、妻が咲ちゃんの面談について行ったために藍ちゃんの方に私が行くこととなった。怖い。怖すぎる。怖い顔をした先生に会いに行くことが怖いことでは無い。大人だから幽霊とかおばけとか怖い顔の人なんてのは大して怖いと感じることもなくなった。しかし精神的な怖さは克服できていない。今回は藍ちゃんの将来に関わる重要な面談となる。藍ちゃんの違う一面が見えるかもしれないというわくわく感はあるが、それよりも現在の藍ちゃんの学校での評判や成績、将来のことに大して真正面から直視しなければならない。これは顔を背けるわけにはいかない。どうしようもないビビり野郎。

 

 実際には藍ちゃんはいつも私たちがいつも感じていたいつもの藍ちゃんだったし、3者面談の内容は大学への推薦入試についての説明だった。勇気をもって現実と対峙してみればあっけないものだ。「そんなもんだよなあ」とホッとしてみたりする。が、藍ちゃんには勇気を持って現実に立ち向かった私がどう映っていたことだろう。いかん、ホッとしている場合では無い。これからの人生、まだまだ勇気を振り絞らなければならない場面はメジロ押しだ。藍ちゃんが結婚相手を連れてきたら私はどんな顔をして藍ちゃんと対峙したらいいのだろうか。怖い。怖すぎる。これは咲ちゃんの時にも当てはまる。怖い。どうしようもないビビり野郎。わかってくれよみんな。

 

 

充電時間をどのように過ごすのかが悩みどころだが

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 電気自動車と付き合っていくにあたって必ず通る道が充電時間をどう過ごすかという問題だ。街中の日産のディーラーの充電器を使うと、電欠表示が出てから80パーセントまで充電されるには基本30分がかかる。その時間をじっと待つか、充電ステーションの近くにあるコンビニなどで時間をつぶすか、はては日産のディーラーでコーヒーのご相伴に預かるかなど時間の使い方を思案するのは電気自動車ユーザーとしては楽しみでもあり苦しみでもある。

 

 この楽しいながらも苦しい充電時間のやりくりを今回の妻の実家への旅で十分堪能した。リーフは1回の充電で100キロ走ればいい方、ていうか市内で使うには100キロは十分な距離なので急な充電の必要性もあまり感じない。警告が出ても20キロは走る。慣れとは恐ろしいもので、リーフに乗り始めてあと20キロとなった時はドキドキしたが、今は20キロしかないのであれば近くの充電ステーションで充電すればいいだけと思ってしまう。街中にいる限りは充電で困ることは基本的に無いと言える。30分かかるかもしれないがどう楽しむかの問題でもある。さらに言えば充電電気代は契約により私の場合はタダだ。ガソリン代と充電時間はトレードオフの関係にあると言える。30分かかってもいいからタダを選んだのは私だ。

 

 話を戻す。高速道路で妻の実家まで行くのに都合6回の充電が必要になる。50キロごとに1充電という感じだ。100キロ走るのであれば充電回数はそんなになくてもいいだろうと思うかもしれないが一つでもパスすると100キロ走る必要がある。そうなると電欠(充電切れ)の可能性がある。それは非常に怖いので50キロしか走らなくてもサービスエリアで休憩するのだが、充電時間を無為に車の中で過ごすなどという愚行は私の妻には考えられない。ネットや「ハイウエイウオーカー」でサービスエリアごとの名物などを調べ上げている。今年の夏は暑い。ソフトクリームやシャーベット類が飛ぶように売れていた。浮いたガソリン代の行方は自ずと知れるというもの。

 

 今回の1泊2日の実家への旅行で走った距離をガソリン代で換算するとゆうに1万円を超えていた。大満足だ。たとえ充電に時間がかかるとしてもガソリン代がかからない旅行は格別だ。遠乗りに適していないと言われ続けているリーフに乗って今後もロングドライブを楽しもう。たとえ浮いたガソリン代が買い食い代に消えようとも。